■南北戦争へ
植民地建設当初からあった南北の生活様式の違い
英産業革命、綿繰り機の発明18世紀末によるプランテーションの発達
を背景に
南北の利害の対立が深刻化
西部をめぐって
北部 自由な商業的農業地域にしたい
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1818ミズーリ準州の州昇格申請 奴隷州か自由州か 対立が表面化
1820ミズーリ協定 北緯36度30分以北には以後奴隷州を認めない
1850 カリフォルニアを自由州に
1852 ストウ夫人 アンクル=トムの小屋 奴隷廃止論激化
1854 カンザス・ネブラスカ法 ミズーリ協定破棄 奴隷州か自由州の決定は住民の選択へ 奴隷州拡大の危険 共和党(連邦党、ホイッグ党の流れ。北部、中西部支持)結成し対抗
■南北戦争
南北問題よりも、分裂の回避を
1860 共和党リンカン(16)当選
南部はジェファソン=デヴィスを大統領としリッチモンド首都にアメリカ連合国結成
1861 開戦 南部リー将軍 北部グラント将軍
1862 ホームステッド法 5年間居住すれば開墾者に無償で土地を与える 西部農民が北部支持
1863 奴隷解放宣言 ゲティスバーグの追悼演説 “人民の人民による人民のための政治”
リンカン
ケンタッキー州の貧しい農民の生まれ 独学で弁護士