セルビアという国

世界史の第一次世界大戦前後をやっている。

近現代史は複雑すぎるし登場者も多く手を出す勇気が無かったが、オスマン帝国への興味→イスラームの謎(アラブ人、ペルシア人トルコ人、インド人…)→オスマン帝国エジプト総督ムハンマド=アリーがアラブ人の国を作りたいと蜂起するところに列強が入り込み、多重外交を行い、インドほかの植民地再分割の醜態からの、第一次世界大戦に興味が集中しました。

その舞台であるセルビアという国について。

 

〜今の知識〜

第一次世界大戦は、オーストリアセルビアで皇太子夫妻フェルディナントなんちゃらがセルビア青年に撃ち殺されたことにはじまる。その日は大セルビア王国が14cに滅んだ日であり、軍事演習をしていた。そのまま火がついたというわけである。

片田舎のセルビアのそんな出来事が第一次世界大戦まで発展したのは、帝国主義における同盟関係や植民地再分割戦争においての複雑な国際関係があったからであり、帝国主義ゆえ経済力があり、派手な兵器による派手な戦闘が毎日のように行われ、フランス革命ナショナリズムの高揚からナポレオンに始まる国民国家の総力戦により兵士の主体は常備軍から国民軍へと変わり、参加者数ゆえ死傷者数がえげつなく、広範囲、長期化したという特徴がある。

なお、主な兵器は機関銃であり、塹壕を掘って穴に隠れて機関銃で打つのを待つというお互い睨み合いの塹壕戦となった。それに打ち勝つのは戦車だが、開発初頭ゆえ故障が多くWWIではお試しで終わっている。飛行機も同様。毒ガスが初めて使われた(化学が得意なドイツによる)。

日本は終盤でドイツが手の回っていないところでドイツ領アジアの諸島と青島と湾をとった。日本は日仏協約からみてとれるように、自分も列強の仲間入りを狙った植民地狙いであり、アジアの解放なんて大義名分は嘘である。

セルビアで火のついた争いは、背後に大スラヴ主義(大セルビア主義)があり、南下したいロシア(スラヴ)を味方につけ、ロシアと協商関係にある仏、英ほか多くの国を味方につけている。対するオーストリアは大ゲルマン主義の面持ちがあり、同盟関係にあったドイツ、そしてトルコとブルガリアしか味方はいなかった。アメリカは孤立主義をとっていたが、ドイツのUボートによる無制限潜水艦作戦による商業妨害を理由に連合側で参戦した。

ロシアはロマノフ朝であったが、ドイツ工作員数人の補助によって革命がおき、倒れた。レーニンが国際社会に休戦を求めたが無視されたので秘密外交文書を公開し、ここでサイクス=ピコ条約など多重外交の醜態が暴かれる。ロシアが離脱したことで東部戦線が消滅し、西部戦線にかけるドイツ虚しく仏英米の力に勝てず、キール軍港の水兵暴動契機にドイツ革命がおき、休戦に調印しWWI終結した。なお、数人の諜報活動が数千万人を動かしたことから、WWI以降はKGBやCIAなどが発足する(無線電信の発明の影響もある)。

 

そんなセルビア

f:id:qatsi:20230214103157j:image

●歴史

バルカン半島には山脈などの自然の障壁がなく、民族往来の舞台となる。広大な平野もないことから、人口密集せず外来民族から土地を守ることも難しかった。

古代 イリリア人、ダキア人、トラキア人が住む ローマ帝国と異民族との交流や抗争の場

441 フン人襲来 町は破壊

6c モンゴル人とスラヴ人襲来 ベオグラード攻撃

7c セルビア人が定住(ビザンツ皇帝によるモンゴル人への対抗上この地に移された) モラヴァ川沿いの峡谷にジュパ(血縁単位)という共同体を作った

9c ブルガリアビザンツ帝国間がセルビアをめぐって衝突

9c キリスト教伝来

924 ブルガリアに併合

10c 東方正教会に帰属

10c 文字の受容(キリル文字+ラテン文字の併用)

1081 ビザンツ帝国ブルガリアを征服→セルビアも直接支配される

1217 セルビア王国 ビザンツ皇帝から大族長に任命されていたネマニッチ家が建国(ヒランダル自治修道院が有名)

その後マケドニア領有

1330 ベルブジュドの戦いでブルガリアを破る コソヴォデチャニ修道院建立(ロマネスク+ゴシックの傑作、世界遺産)

14c ビザンツ内乱に関わって各地併合 銀山のによる発展

1371 セルビア王国滅亡 貴族の内乱に巻き込まれネマニッチ家捕われる

コソヴォの戦い オスマン帝国vsラザル(セルビア)

1402 セルビア公国形成 ラザレヴィチ オスマン帝国に仕える→スルタンとハンガリー王双方に仕える→スルタンに占領されハンガリーに避難

1459 最後のセルビア公 メフメト2により陥落

以降オスマン帝国支配下 セルビア人はボスニアヘルツェゴビナ、ヴォイヴォディナ移住した

 

●観光

首都 ベオグラード

人口 702万人

共和制

民族 セルビア人83% アルバニア人ハンガリー人など

宗教 セルビア正教イスラム教少数

言語 セルビア語(キリル文字+ラテン文字)

通過 ディナール 1DIN=1円 ユーロが両替しやすい

ビザ 観光90日以内なら不要

飛行機 直行便なし ウィーン、ふらんくふると、チューリヒ経由

鉄道、バス 遅れる 近隣国からは毎日1、2便5-10時間

国際関係 コソヴォの独立を認めていないのでコソヴォを通ると入国できない

土地 大陸性気候 山がち 朝晩冷え込む 冬はスキーリゾートもある 冬-3℃まで下がる 夏28℃まで上がる

変圧器 2本足Cタイプ

水道水 飲める 500mlペットボトル50円

公衆トイレ 有料

 

ここで、サラエボ事件の起きた当時セルビア サラエボ は現在ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ であることに気づく。セルビアのガイドブックが平穏そうであるのに対し、ボスニア・ヘルツェゴビナのガイドブックは民族・言語・格差が入り乱れ物々しい。