【保育士試験】2保育原理 ノート

3%の合格率である保育士試験を一発合格した話 - 地方からこんにちは

保育原理のノートです

間違い箇所(理解不足)がありましたらご指摘をお願いします。誤字脱字はぼちぼち直します。すみません。

 

■2保育原理      
国保育士会倫理綱領(社会福祉に記載)  
         
①意義        
         
②法令、制度      
児童福祉法      
  保育士でない者は保育士またはこれに紛らわしい名称を使用してはならない
         
児童福祉施設の設備及び運営に関する基準(昭和23年)
  ・避難及び消化に対する訓練は少なくとも毎月1回(x6か月に1回)は行わなければならない
  ・「児童福祉施設においては、入所している者の国籍(x性別x個性)、信条、社会的身分又は入所に要する費用を負担するか否かによって、差別的(x排除的)扱いをしてはならない。(保育所保育指針にも保育所の社会的責任(x説明責任)の一つとして明記)
  ・食事を提供するときは、献立はできる限り変化に富み、入所している者の健全な発育に必要な栄養量を含有するものでなければならない
  ・乳児または満2歳に満たない幼児を入所させる保育所 乳児室またはほふく室、医務室、調理室、便所(x屋外遊技場)
  保育所は保育士、嘱託医、調理員(x栄養士)を置かなければならない(調理業務の全部を委託する施設では調理員を置かないことができる)
         
教育基本法      
■学校教育法      
新たな認可施設      
  家庭的保育事業 1-5人(x10人) 個人家庭などで 保育士や家庭的保育者(市町村町認める)  家庭的保育事業ガイドラインで要件や研修を規定
         
保育所保育指針      
保育所の役割(保育所保育指針第1章)  
  ・保育は、養護と教育を一体的に行う
  ・養護とは、子供の生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わり
  ・養護は保育のねらいを踏まえて保育全体を通して行う。(x看護師が行う処置x一定の時間を設けてそこで行うものx保護者へ指導すること)
  ・教育とは、子どもが健やかに成長し、その活動がより豊かに展開されるための発達の援助
教育に関するねらい及び内容 5領域(健康、人間関係、環境、言葉、表現)
保育の目標6つ(養護と5領域に対応)  
  1十分に養護の行き届いた環境のもとに、くつろいだ雰囲気の中で子供のさまざまな欲求を満たし、生命の保持及び情緒の安定を図る
  2健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培う
  3人とのかかわりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに、自主、自立及び強調の態度を養い、道徳性の芽生えを培う
  4生命、自然及び社会の事象についての興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培う
  5生活の中で、言葉への興味や関心を育て、話したり、聞いたり、相手の話を理解しようとするなど、言葉の豊かさを養う
  6さまざまな体験を通してえ、豊かな感性や表現力を育み、創造性の芽生えを培う
幼児期の終わりまでに育ってほしい姿(10の姿)
  ・健康な心と体    
  ・自立心      
  ・協働性      
  ・道徳性・規範意識の芽生え  
  ・社会生活とのかかわり  
  ・思考力の芽生え    
  ・自然とのかかわり・生命尊重
  ・数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚
  ・言葉による伝え合い  
  ・豊かな感性と表現  
         
④保育の思想      
~ザ大正~      
T15幼稚園令 当時の新しい時代の自由主義的な機運の中で小学校令の一部であった幼稚園が法的にも独立した 
東京女子師範学校附属幼稚園(現お茶の水女子大学附属幼稚園) 1876
愛珠幼稚園 1880 大阪の有識者の要望 町立
子守学校 1870-1880年代 公立、私立 幼い弟妹の子守のために学校に通うことができない子供のために作られた →幼子を見てくれるわけではなく来てもいいよみたいな…?新潟静修学校が初の保育所併設となる流れ
しょう栄幼稚園 1889 米人宣教師ハウ 神戸 保母養成
守戸扶独幼稚児保護会 1890赤沢鐘美 新潟静修学校(私塾)に併設保育室 貧困層 日本初本格的な託児所 弟妹を連れて登校する子どものため
★愛染橋保育所 1909 石井十次 大阪 貧困 3歳未満児を保育所 3歳以上児を幼稚園に収容
東基吉  1872-1958 和歌山 ヒガシのフレーベル()批判
  日本の恩物中心主義保育を批判 『幼稚園教育法(幼稚園保育法?)』(日本で最初の体系的保育論)
  和歌山生まれ、東家の養子となる。和歌山県師範学校卒、小学校訓導、東京高等師範学校卒、岩手県師範学校教諭、東京女子師範学校助教授に転じ幼稚園教育研究に従事、教授に昇進。5年後より宮崎県、栃木県、三重県大阪府宮城県師範学校校長を歴任。日本の恩物中心主義保育を理論的に批判し、東によって遊ぶための材料として息を吹き返した。東は中村五六をちゅうしんに設立された附属幼稚園分室(保育所的性格をもった貧民幼稚園のモデル)で実践を積んでいた。
河野清丸 1873-1942 愛媛 清丸清くまじめにマンテッソーリを
  モンテッソーリ    
  愛媛県生まれ、愛媛県師範学校卒、高等小学校校長、商業学校助教諭、高等女学校教諭ののち東大哲学科(33歳入学)、教育学を学ぶ。日本女子大教授。1914年『門氏教育法と其応用}(『モンテッソーリ教育法と其応用』)でモンテッソーリ教育を日本へ紹介。
土川五郎 1871-1947 岐阜→東京 土川おかたい遊戯
  明治遊戯批判    
  岐阜生まれ、藩士の五男。4歳で東京。小学校訓導、校長。本格的に遊戯の研究に取り組む。幼稚園長となり当時の小学校教育会の指導的地位となる。品川に瑞穂幼稚園と東京昭和保母養成所を設立し自らの教育理念を具現化する場所を得る。強制疎開により閉鎖、1947年75歳で亡くなる。遊戯は当時行進遊戯と唱歌遊戯があったが、律動遊戯や表情遊戯を唱えた。リズムと動作は合致しなければならないとして、運動会で演じる行進遊戯を律動的に作り変えた。当時、唱歌批判の童謡が生まれていたように、土川の遊戯は明治期遊戯のアンチテーゼだった。音楽の表現内容と動きの一致の在り方はリトミック(ジャック=ダルクローズ)と類似しており、著作でも引用しているが影響は不明。
徳永恕(ゆき) 1887-1973 幽香に恕  
  二葉幼稚園2代目園長  
  牛込生まれ(父祖は小笠原家家老)。キリスト教。13歳の時に二葉幼稚園ができたが、18歳の時に鮫川橋の敷地の棒杭に目が留まり、翌年に開園(転園)しており保母になる決心をし、夏休み40日間を手伝いとして過ごす。二葉幼稚園の保母、二代目園長、理事長として幼児教育・社会福祉に貢献し、女性初の名誉都民となった。野口幽香により「二葉の大黒柱」として幼児教育に携わる傍ら、小学部、少年少女クラブ、日曜学校、夜間診療部、五銭食堂、母子寮等を通じて底辺社会の人々のために尽力した。高等女学校4年の時に友人の看病で落第し、新たに加わったクラスに山川菊栄がいた。恕が貸した本を夢中になって読んだと述懐される。恕は頼もしくあだ名はお父さんだった。恕は青踏を全号揃え、四谷の家の前を毎日のように通って二葉幼稚園へ通った。世間のあざけりの的であったころ名も告げず出産祝いを届けている。
小林宗作 1893-1963 群馬→東京→ヨーロッパ 創作リトミック
  リトミック トモエ学園    
  群馬生まれ、農家の三男、東京で小学校訓導。東京芸大音楽学校入学。大正自由教育運動の中で、小学校教員を務める傍ら、ヨーロッパ留学で幼児教育・音楽リズムと造形リズムの関係・音楽と体操の結合について研究し日本に紹介した。リトミックを教育基盤に置いた学校として自由が丘に幼少一貫校のトモエ学園(黒柳徹子卒)を設立(自由が丘小学校が苦境の際に石井獏のすすめで引き継ぐ)。東京大空襲で後者を消失し幼稚園を経営。
鈴木三重吉 1882-1936 広島    
  『赤い鳥』 児童自由画  
  広島生まれ、エディオン広島本店が生誕の地、ゲンバクドームそばに文学碑あり。三男。9歳の時に母亡くなる。15歳の時の詩「亡母を慕ふ」が少年倶楽部に掲載。童話も入選。東大英文学科、夏目漱石の講義を受ける。23歳の時に神経衰弱のため休学、広島で過ごす。広島の私立中学講師。成田中学校の教頭、英語担当。新聞小説連載。海城中学校講師。活発な創作活動。中央大学講師。多くの小説を書いたが行き詰まりを自覚し小説の筆を折る。29歳の時ふぢと結婚していたが31歳らくとの間に長女すずが生まれる。娘のために書いた童話をきっかけに児童文学を手掛ける。この年ふぢ亡くなる。『世界童話集』刊行。『赤い鳥』創刊、著名作家に執筆を依頼(芥川龍之介蜘蛛の糸」、有島武郎一房の葡萄北原白秋)。大正期児童文学関係の名作が誕生し、教訓色に塗りつぶされていた従来の児童読み物が芸術的にも高められていった。39歳の時にはまと再婚。晩年は喘息、肺がんで死去とともに『赤い鳥』廃刊。
西城八十 1892-1970 牛込    
  童謡詩人      
  牛込生まれ、三男だが長兄が放蕩者のため家督相続人となった。苦しいことがないように九を抜いた八十と命名。実家は大地主、父は石鹸製造で財を成したが死後家庭は没落した。早稲田英文科卒。自費出版の詩集『砂金』で象徴詩人として地位を確立。フランスへ留学。早稲田教授。「青い山脈」「蘇州夜曲」作詞。『赤い鳥』などに多くの童話を発表し、北原白秋と並んで対象を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人金子みすゞを見出した。成城で死去。
北原白秋 1885-1942    
  詩人 「雨降り」 「ゆりかごのうた」
  白秋が活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される近代の日本を代表する詩人。熊本の商家の生まれ、まもなく福岡へ。長男。2歳の時に大きな影響を受けた伯母シカがチフスで逝去。福岡県立伝習館中学(現高校)を成績下落のため落第、詩歌に熱中する。大火により酒蔵が全焼、家は傾き始める。早稲田予科。少年時代に本を教えてくれた叔父が亡くなる。詩人として活躍。隣家の人妻と恋に落ちスキャンダルによって名声は地に堕ちる。いろいろあり各地転々とする。小田原時代に鈴木三重吉の勧めで『赤い鳥』の童謡、児童詩欄を担当。「雨降り(あめあめふれふれ)」「ゆりかごのうた」「からたちの花」「武蔵野美術大学校歌」
         
⑤課題        
ヘッド・スタート・プログラム 米 1965 ジョンソン大統領 貧困撲滅政策 貧困家庭の子供に教育医療栄養社会サービス援助(保護者も支援し家庭の教育機能を高める) 小学校入学の時点で同一のスタートラインにたてるよう(小学校入学後の額す湯効果を促進させることとを意図する補償教育) たぶんNPO自治体やボランティアでやっており補助金交付の保育施設がやってるとかではない
  低所得者層の3市から4歳の子どもを対象としたもの。宇宙開発に次ぐ多額の予算規模。就学前に少なくともアルファベットが読めるように、10までの数が数えられるように。
レッジョ・エミリア・アプローチ(イタリア) イタリア北部レッジョ・エミリア市で第2次世界大戦後に始められた。 プロジェクト活動 ドキュメンテーション 美術 芸術 親教師共同体などが協働 実践の振り返りには様々な手段を用いて記録しながら作成するドキュメンテーションを活用するうことが特徴。
モンテッソーリ ・メソッド   
ナショナル・カリキュラム(イギリス) 1988年の教育改革法で設けられた国家規準(日本の学習指導要領にあたる) 1989年じどうほうをせいていしほいくかくめいのきそをきづくとともに早期起訴段階と呼ばれる0歳から就学に至るまでのナショナルカリキュラムの確立に向けて幼児教育改革を進めた。
シュア・スタート(イギリス) 1998 経済的社会的支援の必要な地域への早期介入補償保育教育プログラム ブレア政権で保育システムが整う チルドレンズ・センターで就学前に子どもに保育健康家族支援を
テ・ファリキ(ニュージーランド) 1996 保育の原理と目標 共通プログラム テ・ファリキ(編んだ敷物…多様なバックグラウンドの誰もが載ることのできる敷物を象徴)
KITA (ドイツ) 幼稚園保育園学童保育の一体化した保育施設
保育学校(母親学校?) エコール・マテルネル フランス 3ー5歳 慈善の託児所が1881公教育に組み込まれる
日本の現状と課題      
  保育所児童保育要録 すべての保育所入所児童を保育所から就学先となる小学校へ保育の記録をもとに簡潔にまとめたものを送付する(x手渡し義務)
  日々の保育がそれ以降の生活や学びへとつながるよう保育の内容の工夫を図ることが大切(x就学前の準備教育として、乳幼児期を基盤とする生涯発達という観点から積極的に知的教育を取り入れ、就学前の準備教育として保育内容の工夫を図らなければならない)
  「待機児童改称加速化プラン」2013 3年間で31万人分の受け皿拡大をした
  待機児童の7割は1・2歳児 14%0歳児 1割未満3歳児以上 H30
  企業主導型保育事業 仕事と子育ての両立支援 認可外 H28
  「子育て応援プラン」H291・2歳時のうけざらせいび
  女性就業率80%に対応する32万人分の受け皿整備2018~5年間で